拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

連休前半は福島でした、他

第41回原爆文学研究会@福島大学に出席しておりました。いろいろと思うことがありすぎて整理ができませんが、Sさんのおっしゃっていた「今の福島には二つの時間が流れている」というのは、これは福島県に限ったことではないと強く感じたのでした。
二つの時間というと、昔("DissemiNation"〔国家の撒種〕だったっけ?)ホミ・バーバが植民地においてはperformativeとpedagogicalな時間が存在するという議論を読んだことを思い出す。これはpedagogical(ネーションに直結する)におけるperformativeな、すなわち批判的なモメントを読み取ろうという話だったと記憶していますが、あれは今読むとどう感じられるだろうか。
あと、別のSさんからうれしい便り。おめでとうございます。