拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

スペンダー広島講演会(1957年)についてのメモ

Stephen Spender, "Problems of Modern Poetry"について今週木曜日に「予行演習」をさせていただくわけですが、あいかわらず泥縄作業中。そんな中、Facebook経由で以下のNHKの番組の重要性を知った。いや、私も録画はしているんですが、やっぱり見ておかないと思いを新たにした、というわけです。

http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2014/1018.html

番組紹介より引用。

1956(昭和31)年、広島の爆心地に建つ原爆資料館で、3週間にわたって開催された「原子力平和利用博覧会」。
当時の1年間の来館者に相当する11万人が訪れ、原子力エネルギーがもたらす明るい未来に歓声を上げた。
実はこの博覧会は、原爆犠牲者や遺族の魂が込められた遺品などの展示物を一時的に資料館から近くの公民館に移して開催されたものだった。
被爆の記憶がまだ生々しい時期、核廃絶を誓う「聖地」でなぜこのようなことが可能だったのか?
背景にあるのは、日本の反核運動に危機感を持ったアメリカが被爆ヒロシマで展開した情報文化外交。その内実を明かす史料が出てきた。
国務省から広島アメリカ文化センター館長として派遣されたアボル・ファズル・フツイ氏が残した手記や公文書には、核の恐怖を取り除き、「平和利用」への理解を取り付けるためにあらゆる手段を講じた様子が詳細に記されていた。(以下略)

スペンダーの講演会は1957年。活字になったのが(とはいえ媒体が広島大学英文学会の雑誌というマイナーなものだが)1958年。その内容は原爆詩を"occasional poetry"としてディスって、エリオット『荒地』&ジョイスユリシーズ』をアゲるというものだから、「博覧会」と文脈はつながっているなあとあらためて感じた次第。