拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

役に立つ英文学

もう四半世紀前になりますが、「なんで英文学なんかやっているの?」と尋ねられて、明快に答えることができなかった私は、博士論文まで書いて、英文学が役にたった具体例を調べたのです。例えば、日露戦争のとき、『英語青年』は頑張って戦意高揚をやりました。中野好夫はのちに自らを戦犯だったと公言する位には、英文学者(翻訳者)として、イギリス人によるイギリス(西欧)批判をがんばって翻訳・紹介しました。ただ、私は、こういう実例を調べるうちに、その時々の人々が「役に立つ」だろうとして世に出したテキスト群が「役に立たなかった」こと、原著者の意図を裏切っていったことも論じた、つもり。
というわけで、宮崎さんのご著書と、拙著を紹介しておきます。大学の図書館では入れてあるところも少なくないでしょう。

太平洋戦争と英文学者

太平洋戦争と英文学者

帝国日本の英文学

帝国日本の英文学

今思うのは、反戦や平和のためにがんばった英(米)文学者たちのこと。やはり世のため人のため、一生懸命がんばって「役に立つ」ことをやった人たちがちゃんといたということ。ただし、私の知識不足で精密に語ることができない。これはちゃんとやらないといけない。そもそも、博論で中野好夫の戦中の仕事をやっておきながら、戦後の仕事の検証をやっていないというのは、これは私の怠慢で(も)あるわけなのですが。でも、もうそろそろ、中野好夫、寿学文章といった人たちについて、論文レベルではなくて、本格的な大著が出てきてもいいよね、とは思う。
ところで、こうした人たちが「役に立つ」と考えて世に出したテクストも、やはり原著者の意図を裏切る形で機能した場合もあるだろう。そこはちゃんと見ていきたい。