拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

 アメリカ大使館(文化情報局)の「工作」(1958年頃)

 きっと詳細な研究があるのだろうが、それを読むのは今後の宿題(人生2回くらい欲しいです)として、とりあえずは藤井章生『飯田橋泣き笑い編集記』(2004年)について、文化情報局(アメリカ大使館)ネタで気になったところをピックアップする。
 ちなみにこれらの話(実際の話を元にしたフィクションと藤井は断っている)、1958年から1960年あたりのことである。米軍占領下の話ではないというわけで、まさに冷戦期の北米の対日文化工作はこういうものだったんだなあということが、サクサク読めるてわかって、いいですね、この本。
以下引用。

 急いで赴かなければならぬ別の場所ーーそれは、アメリカ大使館の文化情報局という場所だった。虎ノ門にある大使館のアネックス(別館)ビルの六階にあるその書籍課は、目立たない形で日本の出版社に援助(アシスタンス)を与えてくれる。話だけ聞けばたいへん有難いところなのだが、タダほど高いものはないという、世の諺もある。
 その援助というのは、アメリカ側が望む「反共、反ソ連」的内容の本を出してくれれば、その直接制作費(印刷・用紙代)の大部分に当たる金額をその出版社に支払ってやろう、というものだった。
 書籍課は、アメリカの出版局が発刊した書籍のなかで、適当に反共的な内容で、然るべき説得力をもつ何冊かの本を、日本の出版局に提示する。「よい日本語に翻訳して、日本の書店市場で売ってくれ」というわけである。
 むろん、話は秘密裏に行われる。相手として選ばれる日本出版社は、ある程度の知名度と実績をもっていなくてはならない。本ができ上がり、一定の部数が書店に配本されて、そのことが取次社により証明された段階で、大使館の書籍課は、日本版を発行したその出版社に小切手を振り出す、という仕組みであった。(39-40)

 算盤はじきに余念がなかった後藤が、仕事に集中するときの癖で鼻筋に縦皺を寄せた顔を、そのまま、社長に向けた。社長はどちらへともなしに言った。
 「これで、月末には大使館から、間違いなく二十なん万の金がもらえる。つぎつぎに七タイトルを仕上げるんだから、巻によってアシスタンス金額は多少違うが、いずれにせよ、合計百万円をかるく超える金が入る勘定だ」
 (当時の百万円といえば、その四十年後のこんにちの感覚で、一億円以上の威力感をもつ金額数字だった
(52)

なお、もっと英米文学業界人に興味がありそうな話として、大学〜出版社〜アメリカ大使館のつながりについてのエピソードも書いてあって、「そうなんだ」(私が知らないだけかも)とも思ったのだが、これは時間があったら裏をとりたい話。
繰り返すが、これらはフィクションであり、私が知らないだけで、精密な研究があるのだろうと予測するわけです、はい。そういうのは読みたいが、時間がないよねえ、というオチでした。