拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

君羅先生のこと、正木先生のこと

昨日、君羅久則先生(小樽商科大学名誉教授)が亡くなったとの連絡を受けて、かなり驚いた。というのも、定年退職されてからまだ5年、まだまだお元気だったはずと思って確認したら、やはり2011年3月末で定年退職、2013年まで特任教授、ということだった。私が商大に入ったのは1987年、やはりお世話になったのは英文学関係の授業で、ゼミ生ではなかったけれど、キーツシェイクスピアのお話をされていたこと、Understanding Poetryを教えていただいたことを覚えている。とはいえ一番印象に残っているのは授業や学問の話ではなく、食物の話。確か君羅ゼミと永原ゼミ合同(だったと思うが記録がないので記憶で書いている)、積丹半島の美国で夏合宿をやった時、君羅先生は完全な釣り人スタイルでいらっしゃって、釣ったソイをさばいて食べさせてくれたこと。「虫が湧いたら困るから、たくさんのショウガと一緒に食べなさい」とおっしゃっていたのだった。
1948年生まれの先生なので、私がお会いしたのは君羅先生が39歳〜43歳の頃ということになる。先生がバリバリでお元気だった頃だったのだなあ、と。

こんなことを書いていると、昨年亡くなった正木恒夫さんのことを思い出す。なぜ「さん」かというと、私は直接教えていただいたわけではなく、研究会などでお会いするようになったのだけれど、「こういうときは「先生」ではなく「さん」と読んでください」と明言されたから。とはいえ、もう「先生」とお呼びしても良いような気がする、というかそうお呼びしたて、学恩をお伝えしたい気持ちが強い。なんといっても、私の博士論文&著書(『帝国日本の英文学』)は、正木先生の名著『植民地幻想』なしにはありえなかったのだから。
この掲示板(http://8101.teacup.com/tsuneo/bbs?)を見ると、2014年には体調を崩していらっしゃったこと、ご本人による最後の書き込みが2014年11月15日であること、2015年3月19日に亡くなったこと、HPはご遺族が新しくアップロードされていることがわかる。