拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

南部藩と私

といってもよく調べたわけでもなく、正直調べること自体にためらいもあったことなのですが、備忘録的に。
先日Facebookに書いたことなのですが、私の母方の祖母は、今から今から100年以上前に生まれた(95歳まで生きた)人で、そもそもは八戸藩に仕えたある士族の家に生まれて(苗字を示すのはやめておく)、少なくとも幼少期は「乳母日傘」で何不自由なく育ったお嬢様だったと、これは私の母親から聞いている。家の没落、結婚してからの苦労(これは配偶者がすぐ亡くなって複数回再婚を余儀なくされたことが大きい)、そして夕張への移住ーー屋敷での生活から炭住の生活へのは、本人に取っても「没落」だったと感じられていたはず、とこれは母の弁ーーこういうことを、祖母本人から聞いておくことができなかったことが、今は悔やまれる。と同時に、祖母が生きている頃は、こういう「没落」ストーリーを私のような孫がノーテンキに根掘り葉掘り聞いていいのだろうか、そもそも聞いてどうするのだ、という気持ちが強かったのである。今ならばもう少し、話を聞いておく理由を説明することができたとも思うのだが、何度も書いているかもしれないけれど、そう思った時はもう聞くことができないことが多いわけである。
*1父方の祖父・祖母は、私が生まれた年(1968年)の前に亡くなっているから、これは話を聞くチャンスがなかったわけである。それでも秋田県大仙市狩和野にルーツがあるというのは知っているので、今の所優先順位は決して高くないが、調べてみたいという気持ちはあるのである。

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