拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

秋の宿題(1):井上光晴

夏休みの宿題、終わらんかったです。秋もやります。これじゃあ先生に怒られる…というか怒ってくれる先生もいなくなりつつある今日この頃。
それはそうと、先週末から読み始めて、先ほど自動車の半年点検で時間待ちの間にこれを一応読み切った。

日本の原爆文学〈5〉井上光晴 (1983年)

日本の原爆文学〈5〉井上光晴 (1983年)

被差別部落の問題と被爆者差別の問題を関係させた小説『地の群れ』(1963年)、(広島で)「原爆慰霊式が終わったあと、私は平和記念公園で、誰彼にあたりかまわずからんでる酔っ払い」(299頁)を見て、彼が「原爆なんかちっとも悲しくないぞ。おれだって被爆者だからな。ふん、あっちこっちから遊びに来やがって、大きな顔をするなというんだ…」(300頁)というのを聞いて「私は何をすればいい」(同)と自問自答しているエッセイ「逆流する重たい時間」(1966年)は付箋をペタペタ貼った。ただ、この新しいアンソロジー
ヒロシマ・ナガサキ (コレクション 戦争×文学)

ヒロシマ・ナガサキ (コレクション 戦争×文学)

に再録されているのは「夏の客」(1965年)なのでした。この作品は前述の「逆流する重たい時間」のエピソードとも関係づけて読んでもいいのだろう。
あと、「解題」(324頁)によれば、井上光晴は若いころ長崎県の埼戸炭鉱で「坑内炭付係」をやっていたということで、これは知らなかった。これを読んで、井上(1926生まれ)より10年あとに生まれた父親が、夕張の炭鉱について「あんなところ怖くてとても入れない、暑くて、音もすごい。絶対無理」と言っていたことを思い出した。