拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

 核時代の米英文学者(1):いよいよ授業開始

(昨日は寝ぼけていたのかな…書きなぐりにしてもひどすぎ…。ちょいと手を加えます。(4/25))

先週の火曜日2限の授業からこのテーマで講義プラス演習をやっている。以外にも16名の受講者が居て、これは驚きだった。3人くらいかなあと思ったのだけれど。

明日は、1945年以降の日本の米英文学者の(かつての)「鬼畜米英」文学・文化に対する態度のパターンを、ざっくりでいいから分類してみるとろこからスタートしてみる。

かつて1994年に大江健三郎柄谷行人が『群像』のムックに掲載した対談で展開された、「両面価値性」と「曖昧さ」の議論と組み合わせると、まさにざっくりであれけれど、日本人の米英文学のに対する態度を整理できるのではないだろうかと思ったりもする。

これは雑駁な議論だったと思うけれど、こんな感じ。

(1)は、(これは柄谷の比喩なのだが)「東大なんか糞食らえ」と公言している人はむしろ東大に憧れているのである。憎悪と愛憎が裏腹なのである。つまりこれが「両面価値性」ということになる。こういう人はだから正反対の攻撃的な態度を取ることがあるし、ころっと態度を変えることある(と思う)。これが国家間でエスカレートすると戦争になる。

(2)は、「東大は糞食らえ。ダメだよ。腐敗しているよ。でもさすがにいいところもあるのだから、それを認めないと」というのが大江・柄谷が言う所の「曖昧な態度」ということにある。

(1)戦争とかスルーして「勉強一筋に頑張る」という、齋藤勇や市河三喜的な「研究」を死守す人たち。これは大江・柄谷的「曖昧さ」の、しかし悪例になるのだろうか。アメリカ文学者でこういう人たちはいただろうか。いただろうけど、きちんとした先行研究があればいいけど。

(2)戦中戦後の「鬼畜米英」喧伝していた連中がからサクッと転向して英米文化に走った人たち。かつて宮崎芳三が大和資雄を厳しく批判していたが、もっとも再検証は必要だろうけれど、これは「両面価値的」かなあ。「自分は戦犯だ。声をあげなかった英米文学者はダメだ、市河さん、あなたダメでしょ」と『英語青年』に書いて市河三喜と誌上で喧嘩した中野好夫。この人は「両面価値」的かも。

(3)「鬼畜米英」「一億玉砕」であった過去を認め、責任はあるだろうとも認め、しかし米英の文学・文化にもみるべきところがあるという態度の人たちは、これはやはり大江・柄谷によれば「曖昧な態度」ということになるか。清水(軍国教育から態度を変えてアメリカを理解しようというした)も大原(英語には複雑な気持ちがあったけれど、The Songs of Hiroshimaをずっと刊行し続けた)とか。

原爆と水爆でやられたの米英文学者の米英文学・文化態度は、大雑把にこんな分類ができるだろうか。

さて、大江=柄谷は「曖昧さ」を練り上げること、さらいうならば、両面価値性によって病に陥っている状況からの治癒と考えてもよいと。広島・長崎の米英文学研究者たちに「両面価値性」と「曖昧さ」のこういう議論が当てはまるかどうか。できれば基盤Cくらいはとって調べたいものです。

明日は広島県福山市出身の福原麟太郎井伏鱒二(高校の先輩後輩)について話す予定。井伏はせっせと作品を書いているのに、福原は広島の悲惨を見ているのに、反核運動は知らないという態度であった。まあ、授業なのスタートにはふさわしいだろうと思う。