拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

核時代の米英文学者第3回:ハーシー『ヒロシマ』(邦訳1949年)冒頭部精読

今日16日は4回目で、『ヒロシマ』1章&2章を学生と読むのだが、予習が今終わったので、先週のメモ。
先週は福原の原爆についての沈黙を個人の問題ではなく英文学研究制度の問題として考える方向性を示したあと、「Hiroshima英語教科書選定問題」(1951)につなぐため、『ヒロシマ』を1949年の翻訳で読むことにした。
とはいえたいしたことを話したわけでもない。冒頭部が、(1)爆心地(といっても具体的なことは何も言えず、そもそも誰もそんなことはできず、ただa noiseless flashとしか表象できないのだが)の周囲で生活していた6人を順番に(しかし決して分量的に同じではなく)、あたかも「映画的に」描写していること、(2)十数万人の死傷者に焦点を当てるのではなく、6人のサバイバーに焦点を当てていること、そして(3)ハーシーによるこの6人の選択は意図があるだろう(クリスチャン2名、医者2名、女性2名)ーー少年少女のサバイーバに焦点が当てられていなかったのは、よくはわからないがアメリカの読者への配慮なのでは?という質問は興味深いものだったーーということなどを指摘した。ただ、1949年の法政大学出版局の邦訳のカバーが、おそらくB29から撮影したのであろう広島市の空撮の写真を使っていることの意味を、学生と一緒に考える時間がなかったのは残念。
(なお、現在手に入る1986年増補版のカバーは、原爆ドームから見上げた青空に虹がかかっているーーただしドームの周囲の建物は消してあるーーというもの。空からの地上の俯瞰と、地上からの空への視線への転換にはいろいろ意味づけはできるだろう。)