拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

〈北海道〉

先週の水曜日は「開学記念日」だったので全学休み。月火は授業がないので休暇をとり、四日間ほど札幌でリサーチをしてきた。後期開講の「表象文化論」のネタを仕込むためである。
今年は「メディアにおける北海道表象」を取り上げる。北海道といえば「広い」「なにもない」「夢を実現できるところ」等々、本州人の勝手な欲望の対象となってきたわけだが、これは明治時代からあまり変わっていない。国木田独歩から浅田次郎まで一貫している。「なにもない」ところで新たな自己を発見し再生を果たす内地人男性。そのとき、その「なにもない」ところが実は「なにもない」「処女地」(これも死語になった)ではなく、つまりは自己の欲望を遂げる場所ではなく、すでにさまざまな利害がからんだ場所であることはきれいさっぱり忘れられる。これではいかんわけである。
ところで、私は「何もない」「処女地」に自己の欲望をぶちまける(と言うと性的なメタファーにこだわっているようだが、実はこだわっているのは本州人男性作家である)という構図――「文学」ということだ――に批判的である。批判的だが、しかし、例えば「アイヌ」や「道産子」を代表して、本州人なる人々に食ってかかっているというスタンスを、私はとることはできない。私は夕張出身の「道産子」だが、「道産子」なら「本州人」に食ってかかる権利が自動的に与えられているわけではない。私の父方の祖父は坑夫頭(のようなもの)で北炭社員ではなく、階級的にはかなり下の方だった。ところが、オヤジは北海道拓殖銀行に就職することで階級上昇を果たした。というわけで、私の代になると、もう産炭地の人々、貧しい人々を代表することなんか絶対にできず、むしろ抑圧する側になっているわけなのである。その拓殖銀行の行員の息子が脳天気に「拓殖」批判をやることなんかできるはずがない。
とはいえ、「植民地知識人」のように板挟みになってうじうじ悩むのは最悪の「文学」的態度なので、とりあえず「道産子」という仮構を想定して、そこから本州人のイメージ戦略を批判するという作業をどんどん進めたい。だいたい「(内地)メディアにおける北海道表象」なんて、これまできちんと分析されたことがないのだから、それもしょうがない。こういう作業がすでに山ほどあるというのなら、そういう作業に従事している人々のポジションを批判するという作業も意味があるのだろうが、批判すべき何物もないのだから、自分で作業しつつ自分をつっこむしかない。
・・・と、二週間前までは思っていたのであるが、先週札幌でいろいろ調べたところ、北海道出身の作家、特に小檜山博という小説家が「メディアにおける北海道表象」をかなり批判していることが分かった。この人は滝上町の開拓農家の出身、とはいえ要するに貧農、「水呑み百姓」であると公言している。つまり彼は自らを底辺に置き、そこから内地人を批判する。内地では伝統や慣習にとらわれ息苦しい、食い物もまずい、資本主義が跋扈して農業を貶めている。それに比べて北海道はそもそも流れ者の集まりだから階級差がなく、生きやすい。食い物は抜群にうまく、よいところだ・・・と、これもステレオタイプな北海道賛美ではあるが、ともあれこういうことを繰り返し書いている。
ところで、この人の物言いの中で、北海道はそもそも流れ者の集まりだから階級差がない云々というところ、これは違うのではないかと私は思う。例えば夕張出身といっても、元炭坑夫と旧拓銀行員では全然違う。小檜山さんは自らを底辺の「貧農出身」と位置づけており、確かに彼の自叙伝的文章を読むと、かつての開拓農家の艱難辛苦が伝わってくるのだけれど、それでもアイヌの人たちの苦労とは簡単に比較できないだろう。小檜山さんの作品には『クマソタケルの末裔』(集英社、1983)という小説があるが、なんで九州のクマソが北海道にやってきた、という作品を書かねばならないのか、分析する必要がある。もしかすると、内地人に対する道産子という主体を立ち上げるため、巧妙にアイヌ問題を避けているのではないかという予感がある。
近いうちに読書メモをアップする予定。