拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

作られた九州弁

武藤訳『チャタレー』が早速到着したのであとがきをぺらぺら見ていると、

作中きわめて重要な役割を演じる英中部方言の訳出に際しては、『チャタレー』同様炭坑に縁が深い九州地方の方言らしきものを、五木寛之氏の『青春の門』はどを参照して、作りだした。(中略)その方言訳では、同僚にして親友の横山千晶さんに大変お世話になった。(615頁)

とある。
炭坑=九州という連想はやっぱり強いのか。私なんかは北海道の夕張出身なんだが、うーむ。
方言ねえ・・・。夕張は中国人や朝鮮人はたくさんいたと聞くが、生活の現場では日本人炭坑夫とはあまり深く交わりはなかったようだし、日本人といってもあちこちからやってきた人たちの集合なわけで、しかもそれは100年も続かなかったわけで、いわゆる「方言」やピジン語がうまれる条件はなかったということかな。