拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

Sun, Jul 25

新書488原始の神社をもとめて (平凡社新書)

新書488原始の神社をもとめて (平凡社新書)

〔沖縄の玉城村にある藪薩の御獄にて〕その道をたどりながら、私はあらためて、御獄にはじまり、済州島に至りついた、森だけの聖地を求めての私の遍歴をふり返る。一体、そうした森の何がそれほどに私を惹きつけたのだろうか。 //それはもちろん原始林ではなく、人為の森だ。しかし単に人間が植樹し、手入れをしてきただけの森とは全く違う。一木一草持ち去らないというきびしいタブーを長い間守り続けてきた結果の森、信仰の結晶としての森なのだ。
それが尋常の森でないことは、一見しただけで分かる。照葉樹林系の木々が隙間なく、黒ずむまでに密生し、時には盛り上がるように見え、不意に現れた更新世の獣のような気配を漂わせる。 //その暗い森の中へ入って行く時、私は、旋律やときめきに似た心の震えを感じる。迫ってくる木々の生気、音のしない葉むらのそよぎ、森の奥へと吹き通ってゆく風、木漏れ日の矢、鳥の声・・・・・・私はすべてに神を感じる。森そのものが神なのだ。
しかし、社殿は、森とのこうした一体感を妨げる。神社に限っていえば、時をおいて神を迎える清浄な森の、少なくとも一部を刈り払って社殿を設けた時から、信仰の質が変わったと私は考える。それは聖なる神の領域に、俗なる人間の秩序を持ち込んだからである。それは瀆神という言葉を使いたくなるほどの変質だ。(243―244頁)

岡谷公二(著者)と谷川健一の対談:谷川の発言〕たとえば、応神天皇を祀ってある敦賀の気比神社に行きますと、応神天皇は正面にお祀りされているけれど、ツヌガアラシトという朝鮮から来た神は、境内の実にみすぼらしいトタン屋根みたいな社殿に祀られていました。『日本書記』などには、ツヌガアラシトが敦賀に上陸したとあり、主神のはずです。それがもう、そういうふうになっちゃうんですね。春日大社もそうですよね。奈良時代の中期までは榎本神社が地主神だけを祀っていて、春日大社はなかったんですから。(256頁)

  • 19:34  つくば、雷雨&強風なう。
  • 18:40  【原始の神社をもとめて―日本・琉球済州島 (平凡社新書)】を読んだ本に追加 http://book.akahoshitakuya.com/b/4582854885 #bookmeter
  • 18:33  (良い意味で?)人間やめようオーラをだしているっていうこと? 【hspstclをフォローするとこんな効果があります】・野獣になる ・癒される ・健全になる http://shindanmaker.com/34617
  • 14:41  やっぱり写真出ていない&再散種。RT @yshibi: 研究集会「原爆体験と表象/文学:過去からの呼びかけ、未来への語りなおし」// 10月2-3日於広島大学。日本社会文学会と原爆文学研究会が共催。RTでの転送歓迎です。詳細はhttp://bit.ly/9b81SJ
  • 14:35  散種 RT @yshibi: 研究集会「原爆体験と表象/文学:過去からの呼びかけ、未来への語りなおし」が開かれます。10月2-3日於広島大学。日本社会文学会と原爆文学研究会が共催。RTでの転送歓迎です。詳細はhttp://bit.ly/9b81SJ
  • 14:33  さっき会津若松から「帰筑」するなりワラタ RT @yuki_o: //つくばにもどるのを「帰筑」と言うが,音がどう逆立ちしても「鬼畜」以外の何者でもないので最近はつくばっくというそうだが….//

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