拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

Wed, Aug 25

  • 22:20  RT @parages: 共同作業ということで言うと、自分の場合は、同じような境遇で博論を書かねばならなかった多くの友人に恵まれたのが大きかった。専門は違えど、院生同士の研究会や読書会等を通じて普段から何でも議論できる環境にあった。これは駒場で院生をやれて一番良かったこと ...
  • 22:19  RT @parages: まあまあ。結局、制度は制度でしかないし。社会的「試練」として博論というかたちをとるのが本当にいいのかどうかは別問題としてあります。しかしこれはもっと大きな生き方の問題になってくるけど。
  • 22:19  RT @parages: もちろんそういうことをお構いなしに博論を完成させてしまう人もいるが、どこまで社会的な共同作業を引き受けられたかという点は、やっぱり内容の出来不出来に反映されているように感じる。博論はやはり制度的なものだし、社会的な「試練」を潜り抜けた成果になって ...
  • 22:19  RT @parages: 博論の完成はひとえに本人の孤独な作業にかかっていると思いがちだが、提出段階になって実感したのは、単発の論文などと異なり、博論は実はいろいろな人に助けてもらってはじめて完成に至るのだということ。指導教員や査読の先生のみならず、友人、家族、執筆過程で ...
  • 22:19  RT @parages: 理由としては博論執筆が長丁場になると、周囲の人を巻き込んでしまうということがあるし、学位授与までには様々な一連の儀式を通過しなければならないということがある。儀式というのは、学会発表、中間審査、指導教員や他の教員とのやりとり、最後は口頭試問、そこ ...
  • 22:19  RT @parages: あるいは互いに切磋琢磨できる友達づきあいも含めて、博論完成までには、人間同士の、さまざまな社会的な通過儀礼がある。博論にはそうした儀式を通過してはじめて気づかされることが数多くあるし、そのような意味で学位授与までのプロセスは、一種の社会的な共同作 ...
  • 22:18  RT @parages: 自分の周りにも博論がうまくいかなくなって悩んでいる人はいて、相談に乗ることもよくあるけれど、どう考えても能力はあるのに書けなくなっている人のなかには、博論執筆がそういう共同作業のなかで達成されるという点を軽視している人が少なくないように思う。
  • 22:18  RT @parages: 博論の完成にはどんなに早くても数年はかかる。自助努力でなんとかなると考えている人ほど、長い目でみると、周りに迷惑がられながらも、常日頃から自分を奮起させ執筆し続けさせる人間関係づくりというか、社会的な共同作業体制の構築がうまくいってない。

自分一人で博論を書けると思い込める人はいろいろな意味ですごいと思います。あまり羨ましくはない。このツイートをしている人は、私などからみると「自分一人で博論かけるんじゃないか」と思うほどすげーのだが、でも共同作業であることをつぶやいている。

判断と崇高―カント美学のポリティクス (新潟大学人文学部研究叢書 (5))

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