拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

かなり前のTBS『うたばん』で、モーニング娘。の一番若い人(名前は知らない)が「ヤマンバギャルになりたい」と発言し――僕はこの番組を見るまで「ヤマンバ系」という言葉は知らなかった、こういう格好をしている女子高生はむろん見たことがあったけれど――石橋貴明が驚愕するという場面があった。そのとき石橋は「ヤマンバギャルなんてアフリカとかの、首輪をたくさんつけて首を長くしている人とか、下くちびるにでかい輪を入れている人とかと同じじゃねえか」(←齋藤の記憶による再構成)と発言していたのである。気にはなっていた。
最近、『噂の真相』に連載中の斎藤美奈子「性差万別」を読むと、まさにこのヤマンバ・ガングロ系が取り上げられていた。斎藤によれば、ヤマンバ系に対しては、林真理子に代表される「国辱モノだ」という拒絶反応と、『へなへな日記』(毎日新聞社、1999)の中野翠(コスプレ説)や『東京ペログリ日記』(『噂の真相』連載中)の田中康夫(天晴れ開き直り説)に代表されるある種の肯定(といえるかどうか・・・)の二種類があるという。斎藤はこの二説を踏まえたうえで、次のような説明をしている。

ガングロ系はなぜ興味深いのか。それは彼女たちに私たちの感覚を試すようなところがあるからだ。・・・・・・黒い肌に白い唇。あれは以前の日本で流通し、差別的だという抗議で一掃された「デフォルメされた黒人の記号」を地でゆくメイクみたいにも見えません?露骨に「醜い」と断じるのはヤバイかもよぉ。・・・・・・美の基準は時代や地域によって千差万別。世界中を見渡せば、私たちの理解を超えたファッションなんかゴマンとある。首を長ーく伸ばしたり、鼻輪を下げたり、下唇に円盤ハメたり。自分たちの美意識、価値基準とは異なるという理由で、それを醜いと断じ、撲滅しようとしたのがかつての帝国主義植民地主義思想だったわけじゃん。・・・・・・本人たち以外は全員首を傾げるガングロ系は、我々が「異文化」をどこまで許容できるかという試金石になるのである。(『噂の真相』2000年3月号、p.88)

なるほど。斎藤は『うたばん』を見たのか、それとも前から同じことを書いていて、それを石橋がどこかで聞いたのか。それともヤマンバ=〈原住民〉という連想がすでに定着しているのか。ともあれ、ヤマンバ系の問題を植民地主義イデオロギーと切り結んでみせたこのエッセイは、これまで半年ほど連載されてきた「性差万別」(たいしたことないエッセイも多い)の中でも案外悪くない出来ではないか――と、こんなに持ち上げて責任取れるのか、という話もあるが。
さて、齋藤は一応英文学専攻なので、こういう問題を考えるのに最適の「古典」はなにかと考えているが、なかなか思いつかない。すぐ思いつくようでないと、英文学研究者になんか本当に存在価値はないですね。馬鹿の一つ覚えだが、コンラッド『闇の奥』(岩波文庫、1958)はどうだろう。あの小説の後半、マーロウ船長がコンゴの奥地で病に伏せる象牙採集者クルツを連れ帰ろうとするとき、所謂「現地妻」がその異様なしかしある種魅力的な姿をマーロウ一行の前にあらわす。その姿はマーロウの想像力の一角を確実に占めるのだが・・・やっぱり無理だな。何かいい作品ないですか?