拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

ゴンブロービッチ

昔、小樽商科大学にいた頃、コンラッドの『闇の奥』で卒業論文を書くために北沢書店に注文した本がJacque Berthoud, Conrad (1978)とJoseph Conrad: A Reassessment (1976)だった。後者にはEdward Said, 'Conrad and Nietzche'という論文があった。読んではみたが、当時は全然歯がたたなかった。例のBeginings (1975)を書いた頃のサイードの、しかも気合いの入った文章だから、まあ仕方ない。
ところで、先日仕事の合間に浅田彰島田雅彦『天使が通る』(新潮文庫、1992年)を読んでいたら、ニーチェをめぐる章においてピエール・クロソウスキーとゴンブロービッチの話があった。これまで読み飛ばしていた所なのだけれど、最近のニーチェ解釈に決定的な影響を与えたクロソウスキーポーランド貴族の血を引いているという、仏文関係者なら誰でも知っているのであろう事実への言及をつらつらながめていると、あ、と思った。ジョーゼフ・コンラッドすなわちヨーゼフ・コルゼニオフスキーもポーランド、というかウクライナナショナリスト貴族の息子だというのはそれこそ「常識」だけれど、ポーランド・コネクションを経由してニーチェポスト構造主義)という脱構築コンラッド論を読んだことはなかった。たぶんそんなバッタ物論文など書かれなかったのだと思う。でも、サイードのよくわからない論文もこういう搦め手から無理矢理読めば、少しは読めるようになるのかも。
まあ、こういうことは西成彦さんのような人にお任せするのが賢い選択で、そうすれば自分でぼろぼろのバッタ物を書いてしまうという恥さらしをせずにすむわけだし、またあまたいるコンラッド研究者のだれかがすでにやっているという予感もある。たんなる思いつきだけれども、一応書いておく。最近、イギリスで食べた牛肉のせいか、物忘れが激しいので。

天使が通る (新潮文庫)

天使が通る (新潮文庫)