拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

北風史『北物語』(太田出版、2004年)を強力に推薦する

本書を再読する。
すぐに付箋紙だらけになってしまった。
Vシネ、特に哀川翔に猛烈に傾倒している1962年生まれのライター(私よりちょっと先輩だ)が、「この二年間というもの本書にかかりっきりで、北海道についての、自身の歴史観、地理観、理想像を集中して考え、わが身を研ぎすませ書きつけてきたのである」(あとがき、312頁)という言葉どおりに書き記した、強力な一冊。

つまり、北海道人は、本州人(日本人)とアイヌとの間で引き裂かれ、三重の構造の中で、ある種ずるく立ち回り、しかし煮え切らない日々を過ごしているといえる。
二重ならぬ三重といったのは、和人側に立ったかつての見方と、それに対するアンチとしてのアイヌ側に立った見方(あるいは同じように本州の和人から貧乏くじを引かされた被害者意識)と、さらにどちらでもない未来志向というか、加害も被害も乗りこえたところでの、新しい「北海道人」を模索していこうというような人たちの見方もまた出てきている、という意味での「三重」である。(125頁)

ただし、北風は安易に「どちらでもない未来志向」を賞揚しない。
それは例えば、「1 乞食移民 「明治期の北海道には、被差別部落の人々がさまざまな迫害を避けて、移住してきている」と『明治の北海道』(夏堀正元岩波ブックレット)にある」(128頁)と明言したり、あるいは「クナシリ・メナシの蜂起を映画化しませんか!」(148頁)と書き付けるところに、この著者が相当の覚悟を決めて、調べまくって、そして気合をこめて本書を書いたことを感じる。
網走出身で上京し挫折した永山則夫への複雑な感情の吐露(第9章の高倉健論)もいい。
第10章、駒大苫小牧の活躍を書くときのグダグダな文体も、わかる。
もうちょっと早く出版されていたら、授業の教科書にして、がっちり議論したかったな。
と、強く本書を本HPを観ている方に薦めると同時に、この本のレベルに負けないテキストを書くのは、相当しんどい作業になるであろうことを感じ、多少鬱になる。