拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

ある日曜日の午後の研究室

hspstcl2005-03-27

窓の外では学生たちが卒業生への送辞(というかバンザーイかアイン、ツヴァイ、ドライなのだが)をうなっている。
毎度おなじみの3月末だなあ。
それにしてもヘボい画像だ、やっぱり自動フォーカス機能がついたケータイを買えば良かった。
・・・とぼやきつつ、邦訳サイード『さまざなま始まり』の再再読を開始する。今度は学生向けの抜き書きをつくりながらである。
以下備忘録。
(1)以前『英語青年』サイード追悼特集号に書いた記事では、1967年にサイードが書いた論文"Vico: Autodidact and Humanist"が彼の転機だった等々と書いたのだったが、あらためて邦訳と英訳を読み直してみると、博論を提出し博士号を取得した1964年の翌年というから1965年なのだが、ある文学理論書に論文を寄稿していて、どうもこれがフランス現代思想ヲタとしてのサイードの《始まり》の一つらしい。
未読。
ちなみに明らかにサイードヴィーコと一緒に読んでいたと思われるドゥルーズの『差異と反復』は1966年。無論英訳はまだなく、サイードはフランス語で読んでいる(って当然か)。
(2)サイードの話をするのはよいとして、そのあと中野好夫の話をする予定なのだが、どうしたものかと思っていたのだが(いや、いろいろ考えていたのではある)、やっぱり"Lawrence of Arabia"つながりで行くのが大変時局的でよろしいのではないかと思い至る。
しかし、『知恵の七柱』をもう一度読み直すのは正直めんどくさい。岩波新書赤版『アラビアのロレンス』(1940年)ならすぐ読めるんだが。