拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

さすがに忙しい

職場と家を変えるのは大変だ。今日なんぞ朝起きて、寝て、昼飯食って、寝て、今ようやくアタマがはっきりしてきた夜の7時30分である。
季刊『前夜』第3号が届いたが、ざっと眺めるだけ。
それでも、対談「「戦後」とはなんだったのか」は読む。
最後の方で、高橋哲哉さんが、渡辺一夫の「過激で愚劣な夢」というエッセイ−−日本人は内戦をやって天皇制か民主制かの選択肢にケリをつけるべきだったかもしれないという代物−−を再読したと語るところで、徐京植さんにその内戦は朝鮮半島で起こったのです、と反応されたところにはっとさせられた。
昔、渡辺一夫のこのエッセイや『敗戦後日記』(1995年)を読んだときの違和感の一部がうまく説明されたような気がしたのである。
Blindness and insightというわけで、最近は高橋さんは渡辺の可能性とそれ以上の限界を探るため彼のテキストの再読をやっているわけだが、私も中野好夫と一緒に渡辺を読もうと思うし、たぶんその(つたない)成果は、2学期と3学期の授業に反映される予定。