拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

「丸善」という記号(の風化)

授業で、まあお約束で梶井の「檸檬」を読んだのだが、学生に聞いても「丸善」を知らない。寺田寅彦のエッセイ「丸善三越」を読ませるが、どうも隔靴掻痒だ。考えてみれば今の20歳の学生って、もう本を本屋で買うとか、大きな本屋に畏敬の念を抱くとか、古本屋に入るのが悦楽であるとか、そういう経験は(あまり)ないのかもしれない。
北海道で『ミメーシス』(英訳)を読んでいた私は、最初に東京に行ったとき、まずは北沢書店と日本橋丸善に行ったのだったが。あれはうれしかったなー。だってドイツ語の原書が普通に売っているのだから。読めないけど、レクラムを買いましたよ(何を買ったかさっぱり覚えていないけど・・・トーマス・マンだったかなー北杜夫ファンだったから)。

ところで、全然知らなかったのだが、
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2005033100192&genre=B1&area=K1C
なのだそうだ。
うーん。