拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

ベルサーニがこんなにわかっていいのかしら症候群

という気分の一日であった。

フロイト的身体―精神分析と美学

フロイト的身体―精神分析と美学

という難解、じゃないな、ベルサーニの言葉によれば稠密なテクストが、特に「ジジェクの中の人」中山徹さんによって実に明快に解き明かされていったのには、いつもながら驚嘆したのであった。とはいえ、帰りのバスの中でもう一度『フロイト的身体』を読み直しても、稠密さは少しも解消されていなかったのだが・・・。
議論の内容については、いずれちょっとマジメにレポートしたい(ような気がする)。マゾヒズムの問題というのは、私にとってもけっこう重要な問題ではあったのだ。
と同時に、木曜日に読んだ岩尾さんの『ロビンソンの砦』における超近代のビョーキの主体→ロビンソンする勇気という図式が、例えばベルサーニが執拗に説く自己破砕self-shattering(とその継続)とどう絡むのか絡まないのかということも気になる。