拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

書評、他

若島さんの書評 http://www.wombat.zaq.ne.jp/propara/articles/078.html
毎日新聞』に掲載された新訳『闇の奥』関連記事 http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/news/20060630dde014040080000c.html

ジョセフ・コンラッド:『闇の奥』に新訳 翻訳が映すアフリカ、時代背景より明確に
 映画「地獄の黙示録」の原作としても知られるジョセフ・コンラッドの『闇の奥』の新訳がこのほど、三交社から出版された。中野好夫訳の岩波文庫版が有名だが、翻訳者の藤永茂さんは「新訳は半世紀の間の研究を反映したもの」と語る。NHKラジオ第2でも今月29日から「原書で読む世界の名作」シリーズで『闇の奥』を取り上げている。夏目漱石ら多くの作家に影響を与え、いまなお現代性を失わない『闇の奥』とは?【佐藤由紀】

 「西欧帝国主義を批判した先見性のある文学」との評価から、「アフリカへの差別意識に満ちている」といった反論まで、『闇の奥』にはさまざまな議論がある。そうした論争でいつも引用されるのが1958年の岩波文庫版だ。
 「中野さんは最も尊敬する学者の一人。だが、時代の制約もあり、誤訳や不明りょうな点も少なくない。58年以降に出た研究書を踏まえて新訳を出すべきではないかと思った」と藤永さんは動機を語る。
 藤永さんは68年からカナダのアルバータ大学で物理を教え、現在は同大名誉教授。『分子軌道法』『アメリカ・インディアン悲史』などの著作がある。2001年に近代文芸社から岩清水由美子訳が出版されたが、現在は品切れ。岩清水訳には異論もあり「門外漢だが、自分でやるよりほかない」と決心した。
 じつは、中野さん自身が、あとがきで<出来としては決して満足とはいえないようである。もし原文の象徴的簡潔さを生かして、しかも達意の日本文に自信ある訳者があれば、改訳していただきたい>と書き残していた。それも藤永さんを勇気づけたという。
 新訳の大きな特徴は、コンラッド(あるいは主人公のマーロウ)のコンゴでの足取りをはじめ、ベルギーによるコンゴ支配を中心に当時の時代背景を明確にしたこと。
 たとえば、中野訳で<白く塗られた墓が聯想(れんそう)される大都市(パリのこと)>とあるのを、藤永さんは<白く塗った墓をいつも連想させられる都市>とし、訳註で<ブリュッセルを指す>と指摘。中野訳で<(クルツが)土人たちに雷親爺のような態度で臨む>とある部分も、<雷と稲妻を携えて彼らの所にやって来た>と改め、訳註で<銃火器をクルツが携えてきたことを意味する>と解説した。
 50ページにわたる既存書との対照表もあり、「優れた文学としてだけでなく、アフリカで欧州が何をしてきたかを考える契機として読んでほしい」と藤永さんは語る。
 米作家、フォークナーやインド系英国人のナイポールなど、さまざまな作家がコンラッドの影響を受けてきた。「地獄の黙示録」を意識して書かれたといわれるのが、村上春樹著『羊をめぐる冒険』。「鼠」という男(カーツ大佐に相当)を北海道に探しにいく物語で、文中に『闇の奥』とみられる本も登場する。
 最初の中野訳が河出書房から出たのは、40年のことだった。58年のものは改訳にあたる。
 西欧列強による植民地支配への批判として出版されたのではないかと語るのは、近著『帝国日本の英文学』(人文書院)で『闇の奥』の時代背景を分析した、筑波大講師の斎藤一さんだ。『闇の奥』より前に人気を呼び、日本の戦争遂行の宣伝に取り込まれつつあったアンドレ・ジッド著『コンゴ紀行』に続く作品ととらえられたという。
 「『闇の奥』は英語圏の文学の教科書として最も広く使われ、植民地や文化の問題を扱うにも欠かせない名著。しかし英語が難解であいまいなため、どうしても注釈が必要になる。新訳出版やラジオ講座によって、広い読者が関心を持ってくれればうれしい」
 NHKラジオ第2の「原書で読む世界の名作」は29日から10月20日まで。毎週木曜日21時30分〜22時(再放送は金曜11時〜11時30分)の放送。
 ■「地獄の黙示録」原作■
 原題は「ハート・オブ・ダークネス」。作者が蒸気船の船長としてベルギー領コンゴに渡ったときのアフリカ体験を基に、1899年に発表した。作者の分身とみられるマーロウがロンドンのテムズ川に停泊する小型帆船の乗客に思い出を語る形で物語は進む。マーロウを雇ったのはベルギーの植民地政策の実務機関だった貿易会社で、コンゴ川の奥地で原住民を神のように支配し、象牙を集めていた怪人物・クルツを探しにいくことになった。
 米国のコッポラ監督が、アフリカをベトナムにクルツをカーツ大佐(マーロン・ブランドが演じた)に置き換えて製作したのが、映画「地獄の黙示録」だ。
 コンラッドポーランド生まれの英国人作家。12歳で孤児となり、親せきに育てられた。16歳で渡仏、船員となり世界中を航海した。『ロード・ジム』『密偵』『西欧人の眼に』など作品多数。経済的には恵まれない生活だった。
毎日新聞 2006年6月30日 東京夕刊