デコンストラクシオン節
蟄居謹慎中の身なので、細見和之さんの「デカンショ節再考」を再読する。この論文は以下の論集に収録されている。今回気がついたのだが、岡真理さんの「私」論文も掲載されているのだった。
20世紀をいかに越えるか―多言語・多文化主義を手がかりにして
- 作者: 西川長夫,西成彦,姜尚中
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2000/06/01
- メディア: 単行本
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要するにこれは明治以降の帝国日本の中でしか上昇できなかった男たちの歌であり、しかしその底流には女たちの訴えがあり、つまりは近代化の中でどんどん改変されながらもその近代化を食い破るモーメントがないわけでもなくという議論が、郷土史研究の成果を盛り込みながら続く。最後はこのデカンショ節は「デコンストラクシオンせよ」という民の訴えとして響く。上手すぎる!という感じ(嫉妬ともいう)は今回の再読でも変わらない。
ただ、今回読み直して、これはフェルマン『声の回帰―映画『ショアー』と「証言」の時代 (批評空間叢書)』の訳者だからこその論文なのだという気もした。つまり証言の問題系があるわけで、これはちょっとやそっとで太刀打ちできないぞ、と。