拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

「私」を考える

  • 拙著第5章:中島敦さん『光と風と夢』は西洋植民地主義批判→日本植民地主義の肯定。同時に、「私」=スティーブンスンさん(西洋人・西洋植民地主義批判者)=中島敦(日本人・〔 〕)。この〔 〕すなわち「日本植民地主義批判者」を読者に感じさせるテキストだった。
  • 岡真理さん「私」論文:母語の根源的な他者性を認める→私を他者に開く。

母語母語として生きる者であろうと、母語なるものの他社性を、すでにつねに、生きている。これらのテキストが読者に要求するのは、言語の物質性を回復させ、私たちがそれに躓くことによって、母語なるものの、忘却されてあるこの生々しい他者性を想起することに他ならない。(中略)だが、そのとき、私たちがともに他者の言語を生きているというそのことが、私たちを他者へと開かれたものにする、その反転の契機を、誰のものでもないこの母語のうちに見だすことはできないだろうか。(『20世紀をいかに越えるか―多言語・多文化主義を手がかりにして』、351−352頁)

金融資本システムと電子情報システムに序列化されたグローバリゼーションに馴致することのない他者性(alterity)の存在を跡づけること──文学者がこれを成し遂げるとき、「惑星」は単に「地球」や「世界」を呼び換える隠喩以上のものになるとスピヴァクは言う。他者たちとは、我々の経験が取り込むことのできない軌道を持つ生活圏の住人だ。スピヴァクによれば、彼らの論理から我々自身を形象化し直す作業とは、生という名の文化翻訳によって始めて成されるものである。

岡さんの議論は、私の議論とは根本的に発想が違うような気がするので、今のところあまり参考にならない。
新田さんが書く「彼らの論理から我々自身を形象化し直す作業とは、生という名の文化翻訳によって始めて成されるものである」は参考になるような気もする。拙著第5章は「彼らの論理から我々自身を形象化し直す作業」を中島敦さんに見出すような議論では全然ないが、中島さんが「私」を刻印しつつスティーブンスンさんを翻訳・反復したのは「生という名の文化翻訳」に分類される営為ではあるよなあ、とか。
近く紀要論文として出る「柳瀬尚紀訳『フィネガンズ・ウェイク』におけるアイヌ語地名について」は、アイヌ語地名にこだわることによって、「彼ら〔アイヌ〕の論理」(とその論理の和人による奪用)には接近しえたと思うし、柳瀬訳も(どういう議論をしたらいいのかこれまたよいアイデアはないが)「生という名の文化翻訳」であるとも言える。あとは「我々自身を形象化し直す作業」ということだろうが・・・。
新田さんはこんなふうにまとめている。

そうして〔注:「南半球」の言語を能動的な文化媒体として扱う知見を体系化する地域研究」のこと)アプローチされる集合体とは、我々が隣人とみなす同質のものたちの領域ではない。友愛と憎悪を未分化のままに含む他者たちの集合体に係る際、我々は隔たりと限界を意識しつつ他者を思い描くことを繰り返さなければならない。経験に先取りされない文化を想定するためにはつまり、自らの足場こそが異化されねばならないのだ。

これ、エッセイの「私は自分の足場が異化されました」と最後にちょこっと書けばそれでいいというわけではないわけで。どうしたものかなあ。