拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

スローヒストリー

オビの惹句より。

昭和の戦争の時代に遺された本から、伏流水のような言葉と記憶を書きとどめること。「不戦六十年」を過ぎたいま、この国の自由と「言葉のちから」を問う。

知恵の悲しみの時代

知恵の悲しみの時代

日経夕刊で長田さんのインタビューが掲載されていて、この本のことが紹介されていたので、早速購入、読んでいる。ファスト・ヒストリーではなくスロー・ヒストリーが大事ということを念頭に、後者を探るべく、1894年から1945年までに発刊された(マイナーな)書物について語るこの本に嫉妬を覚える。この「抵抗」の語り方はいいなあ、とか。とはいえ「抵抗」という言葉は一言も出てこないのだが。
あと、本が本であることへの驚きの言葉は、よい。

本としてのありようが、その本の読み方を問う。あるいは、本の読み方をゆたかにも、また貧しくも変えてゆく。本は、そこにあるか、ないか、それだけです。ただそれだけにすぎないのに、ただそれだけのなかに、一冊の本のすべてがあるという本のあり方の、何でもない不思議。本というのは本のあり方のことであり、本は本のあり方そのものがメッセージなのだということです。(184)

本の表紙、書き込み、解説、裏表紙、汚れ、日付・・・という細部、「本のあり方」すべてをスローに読み込むこの人の仕事を、これまで知らなかったのは、ひどい怠慢であった。
というわけで、読了。筑波の図書館に入っていないモノをいろいろ買い込む。

定本 私の二十世紀書店

定本 私の二十世紀書店