拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

『愛人』

愛人 ラマン (河出文庫)

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愛人 -ラマン- 無修正版 [DVD]

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「女主人公」という存在は男がいないと成り立たないような気がしました。→♪思考実験として、『王道』のクロードとペルケンを、「わたし」と例えばエレーヌ・ラゴネルに置き換え、妄想するとよい。女(だけ)が暴走する世界。結構成り立つんじゃないか?あと、「主人公」とはそもそも何なのか、考えてみるのもよい。♪1930年代のフランス植民地で異人種間セックスをやっちゃうというのは相当なスキャンダルなわけで、それでもやっちゃう「わたし」には罵詈雑言を浴びる覚悟はあるわけで*1、そういう意味では「わたし」は自分の行動の「主」であるとはいえるかもしれない。
闇の奥』の女主人公版として「女同士」の絆を主題にすることはないのでしょうか? →ある。この作品も(ある意味)そうでしょう。次のコメントを参照。
友達に対する感情が一線を越えているように思いました。/「私」のエレーヌ・ラゴネルに対する感情はレズビアン的なものと言えるのか?→同性への興味は性的なものか、カミングアウトしているかどうかを考えるとよい。女性も男性も、自分の中学・高校時代のことをよく思い出してみること。
この物語で描かれる「異常」な家族はそのままの意味で受け取ってよいのか、何か別の「意味」があるのか。/『闇の奥』『王道』にはなかった「家族」というものが重要な要素としてでてくる。→♪どの家族をどのような規準で「異常」「正常」とするかは人によって違う。まあこういうダメ家族というのはたくさんあるでしょう。筑波大学の入学者を輩出する家族を規準にしちゃおもしろくはない。♪『闇の奥』『王道』には「家族」(一夫一婦の、家父長的なやつ)がないというのはそのとおりでしょう。先行二作品と『愛人』との決定的な違いでしょう。*2

★ウェブ上にはろくなコメントがないので、講義内容やプリントでポイントを絞りつつ、清水さんの解説を熟読した方がよい。
★ただし、Minuit社のホームページは例外。フランス語が読めれば、だが。

*1:もちろん何も考えていないという可能性もある。

*2:デュラスさんがこれら二作品を直接意識しているわけではないだろうが。