拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

腰痛、倫理批評、××委員会

昨日は留学生Hさんの博士論文公聴会。私は副査として参加。戦後日本の「文化的記憶」を文学作品を真正面から読み抜くことによって浮き彫りにした立派なものでした。この公聴会のまとめで、主査のHさんが、前世紀末の批評史における"ethical turn"に触れつつ、Hさんの博論をこの意味で高く評価したのだが、そういえば明日の院ゼミの課題は現代批評理論のすべて (ハンドブック・シリーズ)Sさん執筆の「倫理批評」の章なのだった。この直前の章「マルクス主義批評」ではOさんがこの批評の「切り替え」の戦略(抑圧の手段の解放の手段になり得る云々)を高く評価したわけだが、これは硬直した倫理批評とでもいうべきものと対峙されて考えられてよい論理なのであって、おそらくSさんの章への導入になっているだろうなと、一人勝手に納得。ついでにジェイムソンさん政治的無意識―社会的象徴行為としての物語第4章を読み返したいが時間はなさそうだ。というか、そもそもこの重要な本を読んでいないどころか知らない学生も増えており、これは読書会でもやらねばならぬのかと思案中。
夕方は新年会だったのだが、アラサー院生たちと腰痛の話になって、そうそうと頷くことが多く、やっぱり職業病なのねと納得。
来週からはいろいろな意味で業務の嵐の日々となる。もっとも新年度から2年間××委員会に放り込まれることになりそうで、嵐は止まぬということになりそうだが・・・。