拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

竹村さんの講演@関東支部

  • 23:04  RT @yuji_nishiyama: Benoit Peeters,Derrida, Flammarion, 737p. 貴重な伝記なので日本でも翻訳出版を期待します。フランス語自体は平明なのですが、デリダ思想全般に通じた方が訳すべきでしょう。思い入れを込めて訳されるべ ...
  • 22:57  『静かな大地』は挽歌だなあとつくづく思う。そして文庫本650頁の長さは、この挽歌に必要な長さだと思う。
  • 22:52  三田への行き帰りで『静かな大地』を読み返していた。宗形三郎は和人とアイヌの共存共栄どころか和人を裏切りアイヌについた、つまり謀叛を企てたんだというところがあらためて気になった。それはそのプレッシャーは強烈で、ウツというか心が壊れるよな、妙に納得した。
  • 22:45  @ynabe39 ありがとうございます、「良い加減」でがんばります。  [in reply to ynabe39]

三田から帰還、竹村先生の講演を聞いてきた。前半は拙著が言及されてこっぱずかしかったが名誉なことでもあった。後半の戦後アメ文論は、日本が敵であったアメリカを友として受け入れたいという欲望があったこと、この友がいわば友愛になっていったことが指摘された。
そして、ソクラテスデリダスピヴァクの「おお友よ、友がいない」という(不)可能性が忘却されていったことが論じられた。まあなんつうか、わたしもスピヴァク本を読んで以来考えてきたことで、おお!というかんじ。で、この(不)可能性は、精読において見いだすというながれであった。
宮崎芳三さんが批判する、斎藤勇的な「一生懸命勉強して戦争をやり過ごす」態度を、竹村さんは少し違った見方をして、この刻苦勉励をスピヴァク的な非連続性の発見の契機として、ある意味で認めていた。精読はラディカルでありうる営為。同意。
面白かったのは、スピヴァク的な非連続性の見出しを、夏目漱石「私の個人主義」における「(個人の営為が結局は断片化していくことへの)さびしさ」の議論に結びつけていたこと。漱石の原文を確認していないないのだが、おおそんなこといいていたっけという驚きはあった。
以上、非常におおざっぱな竹村講演の備忘録ツイートでした。あくまで私齋藤のまとめツイートですので、その点はご承知下さい。

竹村講演概要を関東支部HPより転載。(現在はもうありません。)
「ある学問のルネサンス???英(語圏)文学をいま日本で研究すること」
このタイトルはもちろん、ガヤトリ・スピヴァクの著書『ある学問の死』(Death of a Discipline)をもじったものである。それから、少しだけF・O・マシーセンの『アメリカ・ルネサンス』と。スピヴァクは、ヨーロッパ中心主義の英文学という学問分野(discipline)に対抗して、新しい形の「比較文学」を復活させようとした。しかしこれがそもそも、カリフォルニア大学アーヴァイン校でおこなわれた講演だったことからわかるように、英語圏へ向けて発せられた問題提起だった。それでは、日本語圏で追究されている英文学、学科(discipline)としての凋落が囁かれている英文学は、どのように生き延びられるだろうか。あるいは生き延びることができるだろうか。生き延びる必要があるだろうか。文学、思惟、批評、言語、政治的なもの(the political)などを交差させて考えてみたい。わたし自身の問題としても。

  • 05:27  しかし今日もソファーで寝起きか…原稿抱えているとこうなりがちなのだが、こういうときこそ規則正しい生活をしないといかん。気合入れ直せ。>自分
  • 05:14  おはようございます。今日は慶応の三田キャンパスで、日本英文学会関東支部大会があります。豪華な企画ばかりですが、個人的には竹村和子さんの講演「ある学問のルネサンス?」に大注目です。http://www.elsj.org/kanto/
  • 04:58  RT @goito: テレビ出演を原則断るようになったのは、「その話題についてはよく知らないので責任を持ったことが言えません。ほかにもっと適任の方がおられるでしょう」と言って断ろうとしたら、「台本はこちらで用意しますので」と言われたとき以降だな。

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