拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

Culture and Anarchyを読破しよう

先週の授業だったかな、アーノルドの『文化とアナーキー』(Culture and Anarchy)は読んだけど、その文脈がわからないという学生がいたので、まあともかく古い岩波文庫を図書館から引っ張りだしてきて、以下の引用を含む頁を学生さんに読んでもらいました。

わたくしのように優美と英知との理論を唱える者は、自分の周囲に行われつつある比較的あら削りの下品な運動に対して反感に満ちているとか、そういう人はそれらの運動によって弊害を根絶しようとする下賤な改革には手をかさないとか、従って行動を信奉する者はかれに対して立腹せずにはおられぬとか言われる。しかし、もし荒削りの下品な行動、見当はずれの行動、十分な英知をもたぬ行動が、現在われわれの害毒であり久しく害毒であったとすればどうなるか。いまわれわれのさしせまった必要は、どのような犠牲を払ってでも行動することではなく、むしろわれわれの難局に対して英知をしいれることであるとすればどうなるか。そのばあいには、われわれの周囲に行われつつある比較的あら削りな下品な行動に手をかさず、自分と他人の双方に対する第一の義務を、自分を啓蒙してでたらめな行動をしないようにすることにありとすることが、われわれのとり得る最善なほんとうに最も実際的な路線なのである。(多田英次訳、91−2頁)

この「われわれ」は誰なのか。ーー「われわれ」については、最初はJoseph Conrad, Lord Jim (1900)を読んで以来、ずっと考えてきました。それが私にとっての「英文学」の始まりでした。今は、「われわれ」の理論を考えるのも重要だけれど、アーノルドの「われわれ」における「優美と英知の理論」なるものを、先人たちの業績にならいながら、一人の「英文学者」として真剣に読み抜くことが、私のこれからの仕事なのだと、覚悟を決めております。