拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

もう4月17日、野崎孝の調査は打ち止め

会議とか引き継ぎとか授業とか調整とか、結構くたびれているけれど、それはもうしゃあない。問題は今月末〆切の英語論文。議論は「まあこんなものでしょ」状態、あとは来週末に英語の直し依頼→提出でもいいのだけれど、野崎孝についてもっと調べたいが時間がないのがなかなかつらい。野崎はサリンジャー翻訳で有名ですが、リチャード・ライトも翻訳しているわけで、それは単にそのときの流行に乗っかったのかもしれない。しかし彼はハーシー『ヒロシマ』教科書採択(1951)のときに、これを読んで平和について考えたいと朝日新聞にのべているわけで、その実際がどういうものだったのかは知りたいわけです。翻訳仕事に没頭して「平和について考える」ことは最重要課題ではなくなっていったのか。それとも筋は通したのか。というわけで、中央大学での授業の内容とかを調べたいのだが(調べられるかどうかもわからない)、それは今後の課題ということになりますか。