拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

《北海道》ネタを勉強していたんだなあ

まだ筑波で大学院生をやっているころ、清里で夏合宿をやっていた。もうだいぶ前だと思うが、ロマン派についての新しい研究を読もうということで、『Romanticism (Longman Critical Readers)』をテキストにしたことがある(ちなみにこれは大変優れた批評の教科書なので、主なものはそろえておいたほうがいい)。当時は、まあ論文は読んだけれど、どうもピンとこなかった。今、ロマン派を巡る議論が面白くてしょうがない。もちろん、専門外なので、自分で原資料にあたるなんてことではなく、先行研究のウワズミを啜っているだけなのだが。 
後期の講義の準備のため、国木田独歩を読んでいるのだけれど、このお兄さん、もうもろにワーズワースワーズワース先生はアルプスの滝を見て感激し、他方フランス革命にもちょっかいをだして、最後は保守オヤジとして長生きする。国木田も途中までは似てる。自由民権運動に刺激され、日露戦争では「愛弟通信」でジャーナリストとして名をはせ、そこからいきなり(いや日露の前からすでに)ワーズワースにハマる。空知太の原生林をタコを使って無理やり切り開いたまっすぐな道路を見ているにもかかわらず、歴史も社会もどうでもいい、「自然」と「人性」だと、はなはだジャーナリストらしからぬ文学的発言をする。柄谷行人定本 柄谷行人集〈1〉日本近代文学の起源 増補改訂版』によれば、これこそ「内面」の発見→「文学」(ナショナリズム)、ということになる。ただし、ワーズワースとは違い、国木田は文壇の親分になるまえに死んでしまうのだが。