拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

エッセイ復活

一年一ヶ月ぶりのエッセイ。正直、まだ博論執筆の後遺症(耳たぶのアトピー性皮膚炎〔口元は川湯温泉の強酸性明礬湯のおかげでほぼ完治〕&“難しい文章が読めない”病〔治癒の兆しなし〕)が続いているが、まあ、ボチボチ。
博士論文(予備論)を提出したあと、一番後悔しているのは、第五章「英文学者、中島敦」を書くときに、一九四〇年の時点ですでに「一人称」「三人称」という用語を使って、島木健作『或る作家の手記』という満州ルポ・小説の語りの政治性を論じた、フランス文学者の中島健蔵について、多少なりとも調べることが出来なかったことだ。中島敦『光と風と夢』(一九四二年)における一人称と三人称の交差という問題を、単にハックスレー『恋愛対位法』(一九二八年)の模倣として解決するのではなく、中島健蔵に代表されるような『文学界』周辺の「語りの政治性」についての意識を確認しておけば、もう少し説得力のある議論ができたと思う(提出した議論では、単なる“憶測”だ)。時間が足りなかったので、仕方亡いけれども。
少額ではあるけれども今年は科研費あたったので、加藤寿々子リサーチ旅行のとき、中島健蔵リサーチもやってみよう。今年の夏にどっかで発表して、とっとと論文にしよう。あ、しかし、今年の夏は、香港学会(というか、本当に開催されるのだろうか)と博論「公聴会」だったか・・・。