拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

「英文学というもの」、_English_、1949年

佐藤が考える英文学とは次のようなものです。

それは、ミルトンに源を発して、一八世紀に至って、高潮に達した「自由」を追求する文学の流れである。(中略)この流れは、バーンズ、クーパー、ワーヅワース、ブレーク、コールリッジ、シェリー、キーツバイロンとなって、ぐんぐん流れて行った流れである。そしてさらに、強くなり、はげしくなって、ラスキンから、モリスへ、さらに現代におけるコードウェルへ、──スペンダーや、デー・ルイスとなって流れている流れである。(全集三巻、二五一〜二五二頁)

そして佐藤が否定的に見ているのが古典主義のようです。

バビットという学者、T・S・エリオットという詩人は、現代のある一角に相応の力をもって指導しつつある人々である。われわれは彼等のコトバに耳をかすべきである。しかし彼らは、大体において、私が述べたような英文学を極端にしりぞけて、その代わりに、サムエル・ジョンスンとか、ポープとか、その他保守的古典派を擁護する人々である。しかしわれわれは彼らの言葉を鵜呑みにしてはならない。われわれは彼等がしりぞける作家を自らの経験に照らして、即ち、われわれが実際に作品を読んで、彼等の言論の価値を判断すべきである。(全集三巻、二五七頁)