拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

「氷窓に倚りて」、『国民文学』、1945年

朝鮮に過した長い歳月の間に、徐々に、私の目をあけてくれた事物は少なからずあるが、そのうちでも、一番私にとってありがたいと思うことは、日本を見る観点の移動であり、この移動された観点から見た日本そのものの姿の新しさである。ヨーロッパにいて、日本を顧みた時のそれには、もちろん新しさはあったかも知れないが、ここで感じるような深さと直接さとは決してなかった。私は朝鮮にいると、何だか、高い馬の脊に乗って、世界を見渡しているような感じがしてならない。ここにいると、世界における日本というものが実にはっきりと、いきいきと写ってくるばかりでなく、日本の三千年の歴史が現在の瞬間のごとく、目の前に展開されてくるのだ。

私は詩の研究と詩作に一生をささげたものだ。それ以外のことはほとんど何も知らない。また何もしたことがない。しかもここにいて「日本書紀」を繙き、推古天皇紀に至ったとき、私の目はそこに定着して再び動かず、身は千年を逆行して、ただちにその時に生きたのであった。そして雲のごとく、煙のごとく、目をさえぎっていた「時」を貫いてくる一道の光芒を発見したのであった。その喜びは何になぞらえ何にたとうべきかを知らない。(全集三巻、一五八〜一五九頁)