拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

中野敏男『大塚久雄と丸山真男−−動員、主体、戦争責任』青土社、2001年

買ったまま「積読」だったので、ぼちぼち読む。
戦中から戦後一貫して、大塚&丸山が、国民を「自由な主体」として「動員」する志向を持っていたことを明らかにして、これを批判するために(慎重な手続きを踏んで)「個人化のポテンシャル」を語るこの本の330頁注(52)は、私にとって重要なものだったのでメモしておきます。

「個人化のポテンシャル」をこの戦後責任という場での自由の閉塞へと導く二つの罠に注意したい。ひとつは「自省化」の罠であり、もうひとつは「相対化」の罠である。/「自省化」の罠とは、「わたしたち」や「わたし」の中に抗争を持ち込むのではなく、「自省」を持ち込むということである。(中略)しかし戦後責任論の文脈では、この「自省化」の罠は、とりわけ「誠実」で「真摯」に連累を認めるという姿をとって現れてくるから、注意を要する。だがもちろん、いかに「真摯」に見えたとしても、責任を果たすということを「自省」に帰着させるのは、主体としてのアイデンティティを自己反省を通じて再興しようとするものであり、また「自己反省をなしうる誠実な人間」として承認されたいというナルシスティックな欲求の表現に他ならない。だからここには、被害者である他者の声は実は届いていない。(330)