拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

Edward. W. Said, _Humanism and Democratic Criticism_, New York: Columbia UP, 2004

タイトル通りの本でして、渡辺一夫の現代版という気もします。歴史と主体の関係(前者の後者に対する圧倒的な力と後者の無力)はヴィーコに寄りながらクリアして、その実践としてアウエルバッハ的文献学を賞揚するという、サイード読者ならおなじみの議論がなされています。(Historyとagencyの関係については、ジェイムソン『政治的無意識』における〈マルクスを援用した〉必然性と準−自律性の議論の方が読み応えがあるなあと思いつつ・・・)
『サイードと歴史の記述』(岩波書店、2004年)で富山先生が解説を書いていて、その中で_Culture and Imperialism_の米国版を書く時間がサイードには無かったとありましたが、その萌芽のようなものもこの本からは感じられます。サイードアメリカとは根元的な意味においてexileの国であるということを問いつめようとしていたかのようです。(書いていて思い出したが、サイードは_Reflections on Exile and other essays_という大著の著者なのでもありました、exileについて触れているのは当然か。)