拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

コプチェク読書メモ

ジェイムソン掲示板で昨日の柄谷&コプチェクネタに触れられていたのにちょと驚き。
確かに序章は難しいなあ。昔、訳者の一人toshimさんが_Read My Desire_面白いぞと言っていたのに、さらにもう一人の訳者N氏がジジェクを訳しているのに、今まですっとばしていたツケだなあと思うが、とにかく改めて勉強しようと思う。夏休みだし。
序章のラッセルの話、あれは342頁の訳註(1)が本文よりもはるかに分かりやすい。ヒッチコックをネタにした本文の方がわからない。で、ラッセルのネタが要するに「女性性」を勘案しない安易な全体性あるいは普遍を批判するために使われているのだと勝手に判断して、そこから先にすすもうと思うが、しかしバディウがわからない(バディウの論文を読んだ方がいいのかもしれない)。で、わかりにくいので、これもひとまず棚上げしておいて、やはり柄谷=萱野から絡もうと思う。
柄谷インタビューの昇華→超自我ネタについては、コプチェク16頁で「女性性と倫理の関係」について「超自我が道徳の判断の基準であるとしばしば誤解されていたことである」というところと関連して、ああ、柄谷=萱野の議論には「女性性」の話は確かにないな、と思う。つまり、「女性性と倫理の関係」について考えなくていいのであれば、柄谷=萱野の議論である意味十分なのだが、しかしコプチェクはそれではイカンという立場なのだと一応理解しておく。
私は、「あとがき」にならって、Read My Desireの最終章を読んで、コプチェク14頁の「女性から構成される全体や「すべて」というものは存在しない」(タイトルはここのあたりをジョン・レノンと絡めたんだろう)から導きだされる「倫理」の可能性について、一度その輪郭くらいはつかんでから、もう一度「序章」を読もうと思う。
ちなみに、toshimさんオススメの第二章のクローズアップ論は比較的分かりやすくて、なんというか、読んでいてほっとした。