拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

古い設備、元気な院生

hspstcl2005-04-13

には仰天し、困惑している。
写真は笑っていただくとして(脚の短い私ですらこの机はきついぞ)、来週から私が講義を行う教室のビデオ機材等々も、さっき事前に点検した限りでは、なんというか、腐っているとでもいいたいような状態。
もちろん全学の教室が上記のごとくだというわけではない。私の研究室がある人文社会学系棟は、私が入学した1991年から基本的に何も変わっていないとはいえまあマシだし(ただしここには学部生用の講義室はなく、あくまで院生用)、ごく最近できた理系修士棟などはもうそれこそ「圧倒的な非対称性」である。
学部生用の講義棟、もうちょっとなんとかならんのかな。ならんのだろうな。すぐには。
会議やオリエンテーションで「筑波も資金難で」等々と聞かされて、いやあそりゃ畜大にくらべりゃ筑波は全然「難」のレベルが違うでしょうとたかをくくっていたのだが、どうもしゃれにならない状況も(一部ではあろうが)存在するようだ。
一番いいのは、ここの学部生には全く知られていない私の授業の受講者がごくわずかであること。私の研究室でできるくらいの人数、そうだな、4〜5人くらいの受講者ならいいな。
カミュ石原慎太郎(これは同僚になってしまったM先生ネタの独自ヴァージョンアップ版)、サイード論(これは『英語青年』サイード追悼号ネタの練り直し版)なんていうマニアックな講義題目を出したから、学生さん、どうぞ見逃してください・・・。

昨日のことになるが、総合文学の英米系院生(A先生のsupervision付き)に参加した。お題はハイデガー先生の有名(脱)“建築”論文の英訳"Building Dwelling Thinking"で、久しぶりに辞書の語源欄をなめるように読んで予習などしてしまった。
私の時はこの手の研究会のお題はデレク・アトリッジのデリダ選集、_Acts of Literature_とかだった。
ボロな設備、ハイデガー的な意味におけるdwellingには向かない陳腐な官舎等々不満はあるが、こういうテキストを少なからぬ人数の院生諸氏と読みあう環境に身をおけるということは、やはりうれしいことだ。

Poetry, Language, Thought (Harper Perennial Modern Thought)
Acts of Literature