拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

日本英文学会

つくばにやってきてからどうも忙しい。専門の授業を初めて持つようになって仕込みが大変、生活も結構大変−−などということは覚悟していたことで、これは体が慣れれば何とかなるというのは帯広赴任時の経験でわかっている。しかし、人付き合いが増えた、しかも英文学・研究以外で増えたっていうのは想定していなかった。私って20代はずっとつくばで研究ヒキコモリで、30代前半は北海道の帯広で博論執筆&教育ヒキコモリだったはずなのだが・・・。
というわけで、土曜日は午後結構遅くまで用事があって、どうも相当おもしろかったらしいM氏のシンポでの発表も聞けず、英文学会はA先生出席のシンポをちょこっとのみ。その後、会場周辺をうろうろしていたにもかかわらずなぜか知り合いと会わず、よく考えてみれば自分のケータイ番号を学生さんにも諸先生方にも知らせてないこと、そして私自身が誰のケータイ番号も知らんということに気がついて、やむを得ず新宿のホテルで爆睡。
今日は朝から明治大の中村和恵さんが司会されていたシンポ、「アジアフォビア/アジアフィリア」に参加。まあ前者と後者の間のスラッシュがこのシンポのメッセージなんだろな、簡単に切り離せないということなのだ、と考える。中村さんがおっしゃっていたように「(冷静に見ることができる場合には)偏見というのは大変おもしろい」のだ。しかし、『英語青年』6月号掲載のM氏による3月の筑波国際シンポ報告の最後のコメントを読めばわかるが、文学・文化研究においても「冷静に見ることができる場合」というのはそんなに多くもないという気もする。むろん、だからこそ、そのような「場」は確保されねばならないし、私も「研究」を通じてこうした作業に携わっているはずなのだ。
というようなことを考えつつ、別の用事のためシンポを途中退出、S氏の発表を聞くこともできず、しかしなぜかN氏&K氏と出会ったのち、新宿→八重洲に向かったのであった・・・。