拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

私費

20世紀末イギリス小説―アポカリプスに向かって

20世紀末イギリス小説―アポカリプスに向かって

木村さんは筑波出身で、歳は68年生まれだから私と同じなのだが、学年は私の上になる。私は教育修士で2年間を過ごしてから博士5年課程に入ってきたからである。で、「あとがき」にあるとおり、同時代のイギリス小説を積極的かつ丁寧に読んでいた人でした。
この本はバーンズ、プリースト、アクロイド、エイミス、ジーを論じたものだが、私はプリーストとジーはさっぱり読んでいないので、この本を読んでからおもしろそうな小説を買ってみようと思う。
オムニフォン―“世界の響き”の詩学

オムニフォン―“世界の響き”の詩学

この人の本も買って読んでいるなあ。この人ほどの移動ができないな、という想いがあるから買って読みふけるのだろう。でも、北海道の大学を出て、筑波に来て、イングランドに行って、帯広にいて、また筑波にいる私だって、移動はしているのだ。でもかなわんなーという気持ちが強い。
おまえは「異動」だろうと言われればそうなんだが。でも、「異動」について思索しちゃいけない、というかしたっていいよね。
ところで、私、司馬遼太郎『街道を行く』は全巻読んでいて、今でもたまに読み返したりするのだが、司馬さんと管さんの違いってなんだろうとふと思う。私はふと思うだけなんだが、二人の差について徹底的に考え抜こうとする人がいてもいいんじゃないか。「保守」とか「クレオール」とかいう肩書きをいったん取り外して。
いや、もちろん私は管さんの仕事の方により多く共感するのだけれど。