拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

『(見えない)欲望へ向けて』

をうしろから読んで、早速抜粋。「なぜクィアか?」という問いへの答えその二。

もう一つ付け加えるべき答えは、クィア批評は、そこに快楽があることを自認している政治批評だから、というものだろう。古典文学のもつさまざまなイデオロギー性への批判が、研究の大きな潮流となって久しい。ただ、しばしば語られないですまされてしまうのは、ポストコロニアルや新歴史主義的な視点からのイデオロギー分析が、倫理的に真摯で政治的に正当な営みであると同時に、最高の知的興奮をもたらす麻薬でもあることだ。「政治的読解」と「文学の喜び」とが対立しているかのような構図は、政治的読解自体の魅惑を認めようとしない、いささか硬化した態度から来ているのではないだろうか。(224頁)

一応ポストコロニアルをやっている私は、この批評が「麻薬」であることは十分に「自認」している。明言こそしていないが、私の資料てんこ盛りの博論の中には、あらたな資料発見や、テクストの細部の新たな解釈に有頂天になっている私が、ある。これは読めば分かる。もう少し自制してもいいくらいだ。しかし、「文学の快楽」を(アイロニカルにせよ)言明してはいない。言明してはいけない(かもしれない)という強迫観念のようなものは、確かに感じられる。
倫理主義の行き過ぎ?んー、難しいところだなあ、私の論文の場合。

ちょっとずれるが、感想を。
私の場合、サイードやバーバや正木恒夫から学んだポストコロニアル批評を自分なりに消化するときに、「拓殖のあと」という自分の出自を強く意識しすぎたのかもしれない。具体的に言うと、まだ実際に会ったことがないのでよくわからない「マイノリティ」に対して、とりあえず申し訳ないというポーズをとっておかなきゃならない、文学研究者としてできるだけ誠実に歴史や政治を学んでから会わなきゃ、という頭でっかちのところがあったような気もする。
しかし、考えてみれば、大量の資料を読み込んだ研究者がアイヌの若い連中の前にあらわれたら「なんかコワイ」と思われて当然だし、また「拓銀行員の子孫です、すいません」と十勝のウタリ協会の会員に謝って、それで何かが解決するのかと言えば、何も解決しない。そこにあるのはシャモの自己満足だけだ。
・・・でも、こういうことも、実際に(ディス)コミュニケーションを経験しなければ分からないことだったのだのかなあと、ふと思う。