拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

ベルクソンは大事だが

院試が無事に終わった。
昨晩は『松本人志ショー』を読んだ。
やすきよ漫才の対極にある「停滞」「女(向け)の」「アジア的」なダウンタウンの漫才→松本の笑い。こういうキーワードを三つ並べた本ならまあいくらでもつっこみできるわけだが、私は結構納得しつつ読んだ。特に、過剰な細部と運動(というか顫動)が盛り込まれつつ停滞する松本の笑いこそが上方万歳=漫才の伝統であり、やすきよはむしろ非伝統的なのだというのは、そんなものなのかと思いつつ読んだ。私がシロウトだということもあるが。
ベルクソンからの引用ははなはだ多い。キーワードを眺めていたら、うーん、どっちかというと、これはフロイトの機知論を参照した方がよかったんじゃないかと勝手に思ってしまったり。
松本で卒論を書くという学生もこれを読んで、頭を抱えている。まあ、まだ時間はあるさ。