拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

院授業録画中継(4)

ここ数日来年度のカリキュラムのとりまとめの〆切のため、ちょっと忙しい。

『植民地幻想』、「第4章 『テンペスト』の謎」をSさんが担当する。
例によっていろいろな問題点が指摘されたが(というか陰謀をでっち上げたわけなのだが)、テキトーにまとめると、カギは以下の二点。

  • 結論部

このようにみてくると、シェイクスピアにとって新世界とは何であったのかという問いに答えることは、それほどたやすくはないことがわかる。『テンペスト』は明らかに、新世界についての劇ではない。しかしシェイクスピアはそこにドラマの必要をはるかにこえて、新世界への連想を盛り込んだ。それは俗な比喩をい使えば、紙幣の図柄と透かしの関係に似ている。(74)

テンペスト』を「新世界」と安易に結びつけがちな俗流ポストコロニアル論文への批判なのだろうか(「植民地主義をめぐって対峙する二つの立場が、ひとしくキャリバンにカニバルであることを要求するという、いささか奇妙な現象が生じてしまったのである」62頁)、いやそのあたりは微妙かもしれん(ピーター・ヒュームさんお得意のマシュレーさん的な「不在を読む」の正木さんなりの言い方なのでは?)、云々。→「第5章 植民地幻想」で詳述されているチャップマンさんのマスク(ヴァージニアのネタ)との関連で考えれば、『テンペスト』と「新世界」の関係はもうすこし確度をもって語れるのでは?いや、他の14の劇を調べないとダメかもしれん、云々。

関根さん訳と荒木さん訳を使い分けているのだが、後者が抄訳であるから関根訳を使っているともいえるが、それなら全部関根訳を使った方がいいのではないか、訳者への批判の意図があるのか、云々。


さて、来週はいよいよ変態テクスト『ロビンソン・クルーソー』と正木さんの対決である。そこに岩尾さんがどう絡んでくるか!