拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

「芸能と差別」の深層

寅さんの名前が車寅次郎というのはもちろん知っていたわけだが、この名前が「車善七」の歴史をふまえている(であろうと思われる)のは知らなかった。ただ、『男はつらいよ』は「柴又」であって「浅草」という記号を全面に押し出していないというのは、やはり「弾左衛門」や「車善七」の歴史をあまりオモテに出さないという配慮もあったのではないか云々。なるほどなあ。やはり私は「日本」史を知らんなあと反省しきり。
三國連太郎の若い頃の苦労もすさまじいのであった。