拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

「英文学叢書」論

ユン・スアン「帝国日本の英文学受容――岡倉由三郎・市河三喜監修『英文学叢書』を中心に」(『日本教育史研究』25号、掲載決定済み)を読む。というかもう読んでいるのだが、この論文のコメント論文を書くことになっており、6月末締め切りなのでまだ余裕はあるのだが、読んで刺激を受けたのでちょっと調べ物をしようと思っている。
刺激を受けた点とは、岡倉&市河、あるいはこの叢書を企画した研究社は、“○○○○○叢書”なるものを参考にしたと明言しているという事実である。(この○にはカタカナ5文字が入る。)
一見するとこの叢書はイングランドの出版社が植民地において「原住民」にイングランド精神(への従属)をたたき込むためのツールだと思われるが、しかしこの手の出版社には例えばインド等の支社もあり、現地人エリートが編集に介入している場合もある、ような気がする。そういうところの編集物だと、単純に「イングランド人が「原住民」を教化するための出版物」と言えない場合もある、ような気がする。つまり、この「○○○○○叢書」が「「原住民」がイングランド人になるためのツール」であった可能性もある、ような気がする。
「ような気がする」ばかりなので、ちょっくら図書館に篭もろうと思うのである。幸い首も回るようになってきたし。