コロニアルな話
- 作者: 姜尚中,吉田司
- 出版社/メーカー: 晶文社
- 発売日: 2006/02/01
- メディア: 単行本
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これはかなり面白い。タイトルで即断はできない本だなあ。無茶苦茶おおざっぱにまとめると、憲法九条をコロニアルな文脈で考える、ということなわけでした。
吉田:馬喰から立身してきた田中角栄は、大河内子爵にかわいがられるんですね。新興の大河内財閥は新潟にたくさん工場をつくった。つまり、農家の二、三男対策として地方に工場をつくって、労働力を安く確保する農村工場論というものを打ち出すわけです。これが終戦間際になって朝鮮進出を考えて、角栄は朝鮮半島の工場現場の現場監督となって派遣される。ところが情報通だった彼は、いち早く終戦近しを聞きつけて、一ヶ月で財産を全部売り払って当時の何百円だか何千円だかを懐にして戻ってくるんですね。/その金を、政界進出していくときにすべて使ってのしあがっていき、首相になったときにやったのが列島改造論、農工両全政策。要するに、角栄が朝鮮に派遣されていなければ農工両全政策はありえなかったという意味で、列島改造論とはなにかと言えば、朝鮮経由の新興財閥系なんですよ。(111)
これは知らなかったネタでした。
吉田:例えば高度成長期の文学、三島由紀夫、石原慎太郎、あるいは私に引きつけて言えば、なかにし礼の歌。なかにし礼の満州はもちろん、三島のじいさまが樺太長官ですね。慎太郎が生まれて廻ったのは国内植民地、小樽は北海道、湘南は東京の政治家・官僚・財界人の別荘としての植民地でしょう。要するに高度成長のトバ口で、日本の文学や芸能を派手に引っぱったのは植民地文学なんです。三島や石原を植民地文学と呼んだのはひとつもありませんよ。だけど石原のマッチョ的な体質というのは、言わば、国内植民地における植民地の目線ですから。(134)
「ひとつもありませんよ」ということもなくて、例えば伊藤整さんは石原さんの若いころに、君の文学には植民地的なところがあるとある対談で言っている。むろん、伊藤さんも小樽出身。ついでにアイルランド作家のジョイスさんに萌え萌えだったということもあったり。
とはいえ、吉田さんが満州・朝鮮ネタで姜さんとディープな話をできるのは、もちろんこの人が水俣(チッソと朝鮮の関係)で長く過ごしていたからだろう。
で、私としては北海道・拓殖ネタでこういう本を読みたいな〜と思う。特に、小泉さんの対抗軸としての亀井さんの死刑廃止論を受けての、次の下りを読んだあとなどは。
吉田:鈴木宗男もそうでしょう。大地の党で、新自由主義を否定した。これも佐藤ラスプーチンが言っていたことですけど、新自由主義の否定とか北方四島の問題は、結局、日本とロシアの帝国主義がアイヌを侵略しただけだということを明解に言っている。少数民族の保護もそうだし、そこでは歌手の松山千春も。
姜:なかなか面白い人のようですね。
吉田:まあ、あいつだけだ、宗男を守ったのは。少なくとも男気だけはある。
姜:北海道では、宗男評価は真っ二つですね。あの手法ではひどいという批判する人もいれば、宗男でなければますますジリ貧になるという人もいる。(71)
このあたりは、拓銀の話はもちろん、ウタリ協会内の対立とか、北海道の地域差とかを丁寧に見ていかないとワカランことだろう。