拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

ジェンダー史学会

というのが日曜日に津田ホールであるんですって。http://www7a.biglobe.ne.jp/~genderhistory/congre3.html
特に部会Dの呉さんと吉原さんは友人なのですが、どうやら参加者が少なそうということでお悩みのご様子。というわけで、「ジェンダー史」「台湾」「霧社」でピンときた人は津田まで行きましょう!私は行きます。

部会D 津田ホール 10:00〜11:00
パネル「『生』と『声』にみる台湾の植民地身体」
    パネリスト 呉佩珍
李文茹
コメント 吉原ゆかり

パネル趣旨説明

台湾の植民地身体において、いかなるジェンダー的なメカニズムが働いてきたのか、働いているのか。このパネルの目的は、戦前から戦後にかけてのそれぞれのメカニズムを考察すること、そしてジェンダーの視点から台湾における植民地的な経験とその経験をめぐるさまざまな記憶の現在を問い直すことにある。
東アジアの近代史を語る際、「植民地」は重要なキーワードとなるのと同じように、ジェンダー史から台湾を考える際にも、その課題は避けては語れない。また同文同種の相似性による「同化政策」は台湾のアジアの植民地体験の特徴であり、実際、結婚による同化政策も採用されていたため、ダーヴィニズムなどの優生学をめぐる諸言説を検討する必要がある。明治初期から輸入された優生学言説は植民地支配にも一役を担っている。台湾植民地文学を見る場合、血統論は同化政策を大きく左右する力を発揮している。たとえば坂口れい子の「時計草」の中に政策結婚を通して、後進的な原住民文化を統合しようという描写が見られる。この純血論はその後、台湾における日本語作家にも多大な影響が見られる。これらの作家の作品において、純血な日本人対不純な血統をもつ日本人=台湾人という両者の区別はやはり優生学の言説の背後にある血統論によって大きく左右されている。結局、優生学言説は台湾の植民地支配において、これらの文学作品をとおして、そのメカニズムを明らかに見て取れるのであろう。
また、植民地時代における最大の原住民による抗日事件を語る際において、ジェンダー視点によって、霧社事件の様相も多様的になっている。今まで、男性によって語られてきた霧社事件の歴史は如何にも皮相的でかつヒロイック的なのである。また女性の語り手によって語られた霧社事件にも常に抗日した人々をより英雄的にその支配されてきたことによって欠落していた男性性を引き立てようという企てが見て取れると思われる。しかし女性たちの語り手によって自らの霧社事件経験を語らせることはどうなるのだろう。いかなる霧社事件史が現われるのであろうか。
いままでジェンダー的な視点によって検討されてこなかったそのパースペクティヴによって新たな植民地史を写りだそうとするのはこのパネルのもう一つの目的である。


パネリスト1.呉 佩珍
「曖昧な「血」の境界線―1930−40年代における日本の優生学言説と植民地台湾」

明治初期、ソーシャル・ダーウィニズムの影響のもとに、日本が「人種改革」を提唱しはじめ、たとえば、人種間通婚をとおして、日本人種の劣等性を改善すべきだというような言説もこの時期において形成された。しかしながら、日清戦争日露戦争を経て、このような優生学言説は完全に逆な方向に変わっていた。連続として二つの戦争の勝利につれて、日本人がすでに当時において最も優秀な人種の一つだという言説の流行によって、日本の優生学に変化をもたらした。さらに、一九三〇年代後半において、ドイツの優生学の影響を受け、優秀な人種である日本人が、「純血」を保つため、他の劣等な種族と混血してはいけないという主張も、現われ始めた。
この多様化として現われていた優生学言説も、実際に日本の植民地支配に多大な影響を与えていた。特に日本の植民地における日本の優生学言説と同化政策との間の矛盾は、植民地の皇民化運動時期に、端的に現われた。1930年代後半から、台湾の皇民文学には、「血」という主題は、多く見てとれる。たとえば、「内地人作家」である坂口れい子と庄司総一は、日台「混血児」の描写を借りて、当時に台湾と日本との間の調和していた関係を強調することを図った。しかしながら、作中の「混血児」は、最後、かならず自分の「日本人アイデンティティ」に忠誠を誓い、それを守りとおそうとする。それに対して、同時期の台湾人作家、たとえば、陳火泉と王昶雄が描いた主人公たちは、「オセンティック」な日本人になろうとする一方で、自分の「日本人あらずの血」という問題を悩んでいた。「血」という問題をめぐって、「混血児」および「被植民者」が立ち向かっていたディレンマが上記の作家たちの作品からよく見てとれる。
本発表の目的は、1930−40年代における台湾植民文学における、「血」と関係する作品を検証し、また当時、日本における優生学言説と植民地の同化政策との間の矛盾を解明することにある。


パネリスト2.李文茹
女性の声と口述歴史との出会い−霧社事件言説からの一考察

台湾では多様な歴史的な言説の登場は1985年、解厳令の公布までを待たねばならなかった。それまでの1949年から1985年にかけての期間は戒厳時期と呼ばれ、一般市民の言論の自由が法的に制限され、与党に不利をもたらすような言説はほとんど禁止されていた。90年代の半ばごろに入ってから、口述歴史の採集が次第に増えており、それに多民族社会への意識も高まるなか、台湾先住民関係の口述歴史にスポットが当たり、とりわけ1930年に発生した、霧社事件という先住民族による日本人の大量殺害事件をめぐるものは多く取材されている。また同時期に日本でも霧社事件に強い関心を示している。
ジェンダーの観点による口述歴史では、花岡次郎という事件の主要関係者の妻にあたる、オビン・タダオこと花岡初子はよく取材されている。例えば『風中緋櫻──霧社事件の真相及び花岡初子の物語』(訒相陽2000)、『台湾祕話 霧社反亂?民衆証言』(林えいだい2002)などがある。しかしそれらのなかでは女性という歴史の体験者というより、事件の直接関係者である男性を代弁するかのような部分は多く見られる。一方、『部落記憶−霧社事件的口述歴史』(クム・タパッス、台湾:2004)では、前者より多様な女性としての体験が記述されるものの、随所に貞操や母性を強調するような言説が見られる。
もし従来の男性中心的な歴史と異なる視点を提供するのはジェンダーが課される、期待される役割の一つだとすれば、男性の体験を代弁する行為にせよ、女性性を強調することにせよ、それらの言説に女性の「声」を歴史の彼方に置き去りにする可能性が潜在するのであろう。一方、歴史を語る行為は個人がおかれる時代、社会的立場にも深く関連する。したがって、なぜ男性の体験が多く語られるのかを考察する際、先住民が現在、おかれる社会的な立場を議論に入れる必要があるように思われる。
本発表は、エスニシティアイデンティティジェンダー、この三者が絡み合う中で、女性の「声」は果たして従来の男性中心的な歴史的言説を乗り越え、歴史の主体になりうるのかについての試論である。つまり、ジェンダーを視点に据える口述歴史は果たして男性中心的な歴史観を打破できるのかという問いを、植民地台湾をめぐる歴史的言説‐霧社事件を事例に考察するのは本発表の目的である。