拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

「声」を記録すること

ジェンダー史学会午前の部、部会Dに参加してきました。
呉さんの発表は、例えば日本人と台湾人(本省人や「原住民」)との混血問題をテーマとする坂口れい子「時計草」が、(優生学の影響まるかぶりの)「純血主義」と「混血主義」で矛盾を来している等々、「混血文学」が台湾人と日本人のいわば文化攻防の場であったと論ずるもの。
李さんの発表は、霧社事件における女性の「声」をどのように取り上げてゆくかという試行錯誤を語ったもの。
どちらも興味深かったが、今の私にとっては、李さんが「原住民」(女性)の「声」を記録する試みとして、Yabu Syat編『霧社事件 台湾人の集団記憶』(台湾:旭昇図書、2001年)とクム・タパス『部落の記憶 霧社事件の後述歴史Ⅰ・Ⅱ』(台湾:翰蘆図書出版、2004)を取り上げていたのが興味深かった。これらの本は、「原住民」の「声」をすべて中国語で翻訳してしまうのではなく、彼女らの「声」をアルファベットで表記して、その後ろの中国語訳をつけるという対訳形式になっているとのこと。
むろん、アルファベット表記にしても、そもそもこの表記を誰が作ったのかという問題もあり、そしてアルファベットでもすべての「声」を記録できるはずもなく、限界はある。とはいえ中国語の翻訳=「原住民」の「声」でありうる幻想への有効な批判にはなっているだろう。
とはいえ、やはり上述のアルファベットの限界もあることだし、真性の「声」の回復は無理だ、たぶん。参加者の一人が「「声」の記録といっても、70年前の「声」の記憶だからね」とおっしゃっていたが、身も蓋もないこの感想は否定できない。
その「声」は、あるいはその「声」の存在は、アルファベット表記による「原住民」語と中国語との間の不断の検証作業において感じ取られ得るものだろう。逆に言うと、対訳というものは、そのような真性な「声」の痕跡を感じさせるものであるはずだ(なんだか亜流・我流のベンヤミンの翻訳論ですな)・・・などと考えながらつくばに帰ってきた私は、本当に対訳が好きだねえと我ながら呆れかえるのでした。