拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

京都研究会メモ

コンラッドさんの作品を訳した人の中には、いわゆる英米文学者ではない人も結構いたことが話題になった。海軍関係の人とかなのだが、そういう人の翻訳をどう考えるのか──船乗りや軍人として、翻訳者どころかコンラッドさん自身が経験したであろうものよりも深いところの経験をふまえた翻訳があり得たのではないか。だとすれば、そういう翻訳を論じないのはいかがなものか、云々。
例えば大岡昇平さんはフィリピンでひどい目にあったわけだが、彼は中野さん訳で『闇の奥』を読んでいる。こういう人の読みをもっと大事にすることなどを考えてもいいだろう、ということか。もっとも大岡さんが私訳『闇の奥』を出しているわけではないのだが。