拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

人は見た目が

3コマ。ただし期末試験監督なので楽勝。
15時から、福井崇史さんの博士請求論文*1公聴会に副査の1人として参加。「外見の修辞学」なるタイトルの、250頁超の重厚にして画期的な19世紀末リアリズム小説論──というか、人を見た目で判断することをめぐるさまざまな言説の絡み合いを読み解いていくという作業。先行研究への丁寧な目配り、徹底的にマイナーな作品*2の精読等々、英語の散文研究者ということで参加した私にとっては、ひたすら学ぶところの多い論文でした。
私は、本題についての実質的コメントはできないので、この時期のアメリカ・ユートピア作家たちのアフリカ=〈白い広い空間〉妄想についてもっと聞きたかったというコンラッドさんヲタらしいコメントを。というのも、コンラッドさんの『闇の奥』だと、19世紀末のアフリカはかつてほど白い空間じゃなかった、ということになるから。
あとは、副査のM先生がおっしゃったように、「色」狂いの狂想曲に研究者としてどうつきあうのか、ひたすら聴くだけなのか、介入を試みるのかということが重い課題になるのだろう。人ごとではないが。
夜。英米系研究会を終えた後、A先生、Y姐さん、Mさん×2で、《笠真》なる料理屋へ*3。はじめての店だったが、旨いアンコウ鍋をつつきながら楽しい時間を過ごす。というか、A先生、笑いすぎw
ここは日本酒がよい店で、私とMさん1号(でいいのかw)はドライバーだったので、たいへんよい香りの酒を飲めずに泣く泣く帰宅。

*1:ほぼ1年前にこのブログで福井さんの構想発表について書いていたのだった。

*2:確かに最近の批評動向においては超重要作品ではあるが一般的にはよく知られているとは言いがたい Puddn'head Wilson and Those Extraordinary Twins (Norton Critical Editions)が超メジャー作品に思われてくるという作品ばかりで、これは福井さんも「なぜこのようなマイナー作品を読む価値があるのか」と予防線を張らねばならないくらい。むろん、これらの作品は読む価値があるのだった。

*3:私とタメの店主のブログにある「初めてのお客さん」の一組がわれわれ。写真にでかでかとある酒が抜群にうまかった・・・のだそうだ(号泣)。