拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

北の国から

2月28日。
引越開始。実は母親に手伝ってもらっていたのだが、これ一人じゃ無理。というか、全部やってもらうプランじゃないと無理な荷物の量になってしまった。結構な量の荷物を呆然と眺めていると、Nさんにならって、ディオゲネスさん的風来坊生活にふとあこがれたりもするが、しかし「3390万円から一挙1500万円ダウン!80平米!洞峰公園横!全戸価格改定!」とかのチラシを見るとマジでくらっとするのでもあります。*1どうかねえ、筑波にあと20年すむならマンション買ってもいいのかもしれないが・・・。
3月1日。
A引越会社さん来る。築35年の並木4丁目の公務員宿舎よ、さらば。築25年の並木3丁目の民間賃貸、こんにちは。引越終了。無論新居はダンボールの山である。三田方面では◎インズさんやらなにやらの貴重な話が聞けた機会があったようなのでもあるが・・・。
3月2日。
4階の通路から久しぶりの筑波山を見ながら出勤。たまったメールを読む。と、北の国*2のO氏からメールが届いていることに気がつく。どうやら復帰間近らしい。
院授業。今年度最後。

*1:不況なのはわかるが、しかし一挙1500万ダウンとか、販売価格とか原価とかって一体なんなのか、業界には疎いさっぱりワカラン。

*2:倉本聰さんのドラマが始まる4年前に留萌市から転勤、1977年のスキーのワールドカップを観て、回転のスーパースター、イングマル・ステンマルクさんのサインをもらって驚喜〔ただしこれは両替業務をやっていたオヤジ経由〕、ドラマ開始の一年前に富良野市から札幌市に引っ越した、拓銀行員の息子な私。いわゆる「五郎の家」とかがある六郷は、私ら家族が落葉キノコを採りにいくなじみの場所だったのである。今じゃコンビニがある始末。ドラマも終わった今、あれどうすんのかな。